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狂言

狂言のルーツは、中国の散楽にあるといわれる。散楽が日本に入り、猿楽となる。この猿楽が現在の能のことである。能という呼び方は明治に入ってからのことらしい。能という劇のうち、喜劇的な部分だけを取り出して作られたのが狂言で、能の合間に演じられる。寸劇というか、コントみたいなものか。
狂言には、大きな流派が二つあって、和泉流と大蔵流。この下にあるのが「家」である。今、話題になっている、和泉元彌のところは、和泉流の和泉家。彼の家族は和泉流宗家と名乗っている。もう一人、人気があるのが、野村萬斎で、彼のところは和泉流野村家。
和泉家は先代が50何歳の若さで亡くなってしまい、急遽、息子の元彌を20代宗家として立てた。宗家というのは、家がいくつもある、和泉流の総元締めであり、宗家になるためには元々は和泉流の家の過半数の了承が必要だったという。これを元彌の母親が強引に自分の息子を宗家として立ててしまい、「二十代宗家和泉元彌」と登録商標をとってしまった。このとき、和泉元彌は21歳。狂言師としては完全に未熟だったといわれる。
和泉家は、男が一人しかいない。それが元彌で、他に内弟子もなく、いるのは姉二人だけ。普通、狂言というのは家単位で活動をするので、本来、男が演じるところを女が演じている。これが、どうも具合が悪いらしい。男女差別の問題ではなく、そもそも、狂言というのは、節回しなどが男の声に合わせられているので、女が演じるとダメだというのだ。主役は未熟者でダメ、周りは女でダメ、とダメダメな「宗家」なのである。「北斗の拳」だったら、一発で殺されているね。
同じ和泉流でも、野村萬斎のほうは、親も健在で、安定しているし、レベルも高いようだ。
和泉元彌のしゃべり方を見て、あれが狂言のしゃべり方だと思ってはいけないようだ。大体、受け口だから、正しい発音ができるわけがない。
今、和泉元彌が、遅刻で公演をすっぽかしていることが問題になっている。しかも、何度もやっているらしい。私は、よくロックのコンサートに行くが、演者が遅刻したという場面に出会っていない。時間というものは、人間すべてに平等に与えられたもの、誰にでも24時間与えられたものであるから、これがコントロールできないのは、人間としては失格なのだ。
ということで、和泉元彌は人間失格。


あのお母さんという人も、婚約のときの記者会見で威張って、嫁に対して「着物が着れるように」なんていっていた。威張るんだったら正しい日本語でいえ。ただしくは「着られる」だろう。と、江守徹がいっていた。

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[2002-04-12]

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